[記事617] 共感よりも違いを認める

人間関係に大切なのは共感すること
と言われています。

その人の感情を
自分事のように感じることができたら
二人の距離は
ぐっと縮まるからです。

でも、

私は最近
共感より違いを認めることの方が
もっと大切なのでは
と思うようになりました。

それは
相手のことは何でも理解している
とか

相手が自分のことを
何でもわかってくれていると
思ったのは
こちらの勝手な期待であって
共感ではなかったと気づいたからです。

親子でもよくありませんか?

この子のことは
全て知っていると思っていたら

ある日突然
そうでなかったと気づかされること。 

成長すれば
子どもが親の理解を超えるのは
当たり前なのです。

でも、
それがわかっていても
子どもの幸せを考えると
自分の理想通りに軌道正したいと
思うものなんですよね。

でも、それは
あくまで親の考える理想であって
子どもの理想とは違うし

もちろん
共感でもありません。

こういう時
親の度量が試されるのは

子どもを自分の理想の中に
留めておきたい気持ちを抑えて
理想の枠から外れるのを
認められるかではないでしょうか。

子どもが自分とは別人格で
理解を超えていることを
受け入れられたら
親も子どもから自立出来る
と思うのです。

この感覚は
親子以外の人間関係でも必要です。

好きな人に対しても
共感を強要するのはトラブルの元。

「共感が当たり前」と考えていると
なにかで意見が食い違った時
違ったままにしておけず

修正することに
執着してしまうのです。

修正できないと
決定的なマイナスに感じるので

この人と自分は
この先も共感し合うことはない
と決めつけてしまうんですね。

確かに
価値観や性格の不一致
という見方もできますが、 

共感できないからこの人とは終わり
と決めつけていては
他に合うところがあっても
見落としてしまいます。

それは
なんだか勿体ないと思うし

はじめから
意見や価値観は違うものだ
という前提で付き合っていたら

0か100かみたいな
極端な決めつけ方はしないですよね。

親しくなりたい相手ができたら
その人は自分の理解を超えていると
思いましょう。

そうすれば
安定と信頼は
自然について来ると思います。

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