[記事118] 今の私になるまで ~アメリカ滞在編 Part2~

奈良県天理市から発信しています。
コアマインド開放
心理セラピストのADOです。

夫の米国駐在が決まり、
1997年4月から
カリフォルニア州サンノゼという町で
家族4人の暮らしが始まりました。

同じ会社から
すでに駐在を始めている家庭も何軒かあったので

わからないことがあると
すぐに聞ける状態だったこともあり
初めての海外に対するストレスを
あまり感じることもなく
新生活をスタートさせることができました。

そういう意味では
先人たちがいてくれたお陰だな
と、感謝しています。

カリフォルニアはとても温暖な気候です。
特に夏は乾季に入るため
全くと言っていいほど雨が降りません。

毎日が晴天続きで爽やか
そのせいか
そこで暮らす人たちもみんなご陽気なため
アメリカに対する印象が
格段にアップしました。

ですが、

アメリカ全体で見たときに
国土が広い分
気候も、そこに住む人種も微妙に異なるので
その土地の持つ
解放感や閉塞感には違いがあります。

このことは
アメリカ国内を旅行してみると
肌で感じることができます。

私たちが住んでいたサンノゼ
シリコンバレーといって
半導体産業がさかんで
先進技術が集結した街です。

インテル・アップル・GoogleFacebook
本社があることでも知られています。

そのため
インド・中国・台湾…その他のアジアや
ヨーロッパからのエリートが多く移住し

それに加えて
お隣の国メキシコからの
ちょっと貧しい移民たちも
たくさん流れ込んでくるため
とにかく混沌としていました。

慣れない外国で
雑多な民族が暮らすのに

共通して見られるのは

その国籍・人種ごとに
固まって暮らす集落があることでした。

学校や職場に行くときはバラバラだけど
ねぐらに戻ったときには同郷者が集まる
それが
安心できるライフスタイルのようでした。

日本人はそこまでの人口がいなかったので
固まって暮らすことはありませんでしたが…

私たちが移住して
すぐに考えないといけなかったのが
子どもたちの学校をどうするか
ということでした。

日本とは違い
アメリカの新年度は9月からです。

4月に移住したということは
新年度が始まるまでの5か月間は
新しい環境に慣れるための
準備期間があるということです。

まずは
まっさらな頭に
英語をインプットしていかないといけません。

そのためには
英語が飛び交う環境に入れて
英語に慣らすことが必要でした。

全くの荒療治にも思えましたが

息子たちは
本人の意志に関係なく
いきなり英語しか話せない人たちの中へ
放り込まれてしまうのです。

プリスクール。

そこは
キンダーガーデンに入る前の子どもたちが
親から離れて
集団生活に慣れるための場所です。

二人は年齢も違うので
当然、別々のクラスに入れられてしまうのですが…

ここからがまた
わたしたち親子にとって
チャレンジの日々の幕開けでした。

続きは、次回の「アメリカ滞在編Part3」で。

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