[記事509] 山が教えてくれたこと

ゴールデンウイークも、あと一日となった。

観光地に人が集まるニュース映像を見て
「いつもの連休」が戻ってきたのを感じた。

5月は気候もいいし、お出かけには最適だけど、
あの人混みや高速道路の渋滞には腰が引ける。

休みが分散して取れたら、混雑に巻き込まれず
快適に過ごせるのに・・と、いつもながら思う。

たぶん、それが出来ないのは
休みをバラバラに取ると、学校のカリキュラムが進まないとか
諸々な事情があるからだろう。

言っても変わらないなら、臨機応変に行動するしかない。

何でもそうだが、なかなか変わらないものに対して、
根本から変えようと努力するより
少しの工夫で、快適に近づける方が簡単だ。

今回のゴールデンウイークは、
大勢の人出になると予めわかっていたので、
観光地でない場所を訪ねてみようと思っていた。

その日の天気によって、出かけるか家で過ごすかを決め、
朝晴れていたら、ネットで検索して、
日帰りできる登山コースか、里山ウオークに出かける。

少し早めに家を出て、途中のコンビニで
飲み物と軽食を買い、リュックに詰めて歩き始める。

重装備せず、森林浴をしにハイキング・・
という気軽さがいい。

でも、近場だからと甘く見てはいけない。

どんな山でも、山は手強い。

900m級であっても、しばらく登ると息は上がるし、
膝はだるくなるし、太腿はパンパン。

そうやって、なんとか頂上到達することができるのだ。

そこで、やれやれと、眼下に広がる景色を見れば
それまでの疲れが一気に吹き飛ぶ。

あの達成感と爽快感は、他と比べることができないから
つらくても懲りずに、また山に来てしまうのだ。

山の中を歩きながら、ふと思うのは
私は無になっている
日常のことを完全に忘れてしまっている
ということ。

簡単に言えば、考える余裕がない。

呼吸は荒くなるし、一歩一歩注意して進まないと
足を取られて転げ落ちそうになる。

大きくなくても、常に危険と隣り合わせだから、
気を抜いては歩けない。

下界にいながら、そんなふうに考えることがあるだろうか。

もし、今悩んでいるなら、山を歩くことをお勧めしたい。

美味しい空気と、新緑に癒されるのもそうだけど、
それより何より、生きる厳しさを
教えてくれるのが私は好きだ。

山は私に、悩む余裕を与えてくれない。

特に慣れないうちは、疲労と闘いながら
自分を守ることで精いっぱいだった。

表情を変える自然に翻弄されながら
ここで死にたくない、と
生に執着する自分に気づかされた。

これが終わったら温かいお風呂に入りたい、という
シンプルな欲望のために歩いたこともあった。

そんなシンプルな贅沢を教えてくれたのも山だった。

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