[記事381] 私たちが幸せを感じるのは

[幸せの捉え方] [本当の自分]

あなたは
どんなときに幸せを感じますか?

たとえば
大好きなかき氷を食べている時

または
自然の中をウオーキングしている時
だったとして・・

だからと言って
いつも同じようにいいと感じるとは
限らなかったりしませんか?

奈良県天理市で心理セラピストをしている
ADOです。

もしも、

それが真冬の屋外にいる時だったら
どうでしょう?

おそらく、
かき氷なんて食べたいと思わないし

ウオーキングだって
わざわざ雨風が吹きつける中を
出歩きたいとも
思いませんよね。

つまり
条件が合わなければ
いくら好きなことをしていても
幸せとは感じられないのです。

逆に
普段は、旅行がキライな人でも
遠く電車に揺られていけば
大好きなあの人に会えると思ったら

その電車の旅が
幸せな気持ちで一杯になるはずです。

ということは、

私たちの幸せは
「何をしたから」ではなくて
状況に合わせて願いが叶った時に
感じるものなのです。

言い換えると

願いが叶う「自由」を手に入れたら
幸せになるんですね。

だから、私たちは
自由がないと
不幸せだと感じます。

話をしたくない人と
どうしても話さなければならない時は
「話さなくていい」自由がないことを
不幸と感じ

食べたい物が目の前にあるのに
我慢しなければいけない時は
「好きに食べる」自由がないことを
不幸と感じます。

でも、それが
自分の求める自由であるなら

他人の目からは
不自由にしか見えないことであっても
十分に幸せなのです、

もしも、
雪の降り積もる夜に
人里離れた山小屋で
一晩過ごすことになったとしても

そこに
あなたの好きな人が
居てくれさえしたら
温かく感じるでしょ?

自由とは
誰かに与えてもらうのではなく
自分で選択するものですから。

そんな自由を
あなたは、自分から放棄したり
していませんか?

あなたの思考のクセが邪魔をする時・・

たとえば
私はみんなと同じでなければ
いけない。

他の人と違っていたり
遅れをとってはいけない。

そうでないと
誤った人生を歩むことになる・・

というような考えに囚われている時は
自分から
自由を放棄しているかもしれないのです。

他にも
過去の出来事に囚われたり
上手くいかない理由を
誰かのせいにしていても
自由に生きることはできません。

自分から枠を決めて
そこから出るのを
怖れているのですから。

このような思考のクセは
どうすればいいでしょう?

そんな時は
どうして私はみんなと同じでなければ
いけないのか。

他の人と違うことの
何がいけないのか。

遅れをとると言うけれど
それは
誰と比較して遅れていると感じるのか。

誤った人生とは
一体どういうことを言うのか。

その問いの一つひとつに
答えてみてください。

その答えに
自分を納得させる
合理的な理由はありましたか?

ただ、そこにあるのは
あなたの「拘り」と「思い込み」
ではないでしょうか?

それは
幼い頃から今に至るまで
あなたが成長する過程で
身につけてきたものだと思います。

そして
その「拘り」や「思い込み」でさえ
誰かから伝承されたものなのです。

だったら
それらに対して
従順に従う必要があるでしょうか?

その伝承もこの辺で断ち切って
「自分は自分、人は人」と割り切ってみては
どうでしょう。

あなたの自由は
誰かがくれるものでも
誰かの許可がないと
手に入らないものでもないのです。

「今をどう選択するか」で決まるものだから。

ただし、
その選択がいつもうまくいくとは
限らないし

うまくいかないのを
人のせいにすることはできません。
自由には
必ず「責任」がついてきます。

でも、大丈夫。

失敗したと思っても
修復は利くし
長い目でみれば
あの時あれでよかったんだと
思えることだってあるのです。

漠然と
自分は不幸だと思い
人生の方向性を見失っているなら

いっそのこと
これまで
あなたが選択したことのない
「自由」を選択してみてください。

そこからが、きっと
あなたの人生の本当のスタートに
なるはずですから。
応援していますね。

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