[記事284] 他人の物差し

[自己肯定感]

わたしも
若い頃は他人の物差しで
生きていたな・・

奈良県天理市で心理セラピストを
しているADOです。

わたしは
若い頃から
よく「マイペースだね」と
言われていたのですが

そんなわたしでも
人の目が気になるときが
ありました。

「他人の物差し」というのは
人が決めた指標や指針のことで

ざっくり言うと
「価値観」のことかなぁ。

今だからこそ
「自分の価値観を持って
いきましょう」なんて言えますが

若いときは
経験もないし
知らないことばかりなんだから
人の価値観が気になったって
仕方ないですよね(^^;

人を見て
参考にしたり
真似したりしながら
成長していくのは
ごく自然なことだと思います。

ただ
ひと通り経験して
たくさん失敗もして
気づいたのが

人の成功パターンが
必ずしも
自分にも当てはまるものではない

って、ことだったんですね。

それは
子育てにおいても同じで

よそのお子さんが
上手くいったからといって

自分の子にも
上手くいくとは限らないし
その逆もあったりするのです。

失敗したからと言って
人のせいにはできないし

結局
自分が選択した結果だから
自分の責任でしかないのです。

だから
なにかを選択するとき
自分が選びたい方を
選ばないと
後悔してしまうんですね。

自分の思いに忠実に
生きていると
「我が強い」と
言われることがあります。

その言葉に
ちょっとした悪意を感じて
カチンとくることも
ありますが

でも
よく考えてみたら
それも必ずしも
悪いことではないな
と思います。

「我が強くなる」なるのは
自分をしっかり持っているから
そうなるわけで

その場の空気をよんで
人に流されていたら
「我が強くはなれない」からです。

そもそも
完全無欠な人なんて
存在するわけもなく

誰にでも
受け入れられる人💚
なんかを目指すから
自分らしさがなくなって
我を見失っていくんじゃないかな・・

わたしは
ある人から
嫌われるということは

必ず
好きになってくれる人も
存在すると思っていて・・

というより
「嫌い」と言っているのは
それだけ
関心を寄せているからだ
とも
思うのです。

それどころか
今となっては
人に好かれているとか
嫌われているとかは
どうでもいいことに
なっています・・

人の物差しで生きなくなったら
そんなことは
重要でなくなったからです(^^

***
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魂が喜ぶ魔法の言葉【第5回】心理セラピスト ADOさん

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