[記事271] 評価する目はいけないこと?

[本当の自分]


奈良県天理市から発信しています。

自然体でラクに生きるお手伝いをする

心理セラピストのADOです。

今日は冷え込んでますね。

給湯器のパイプが凍って

お湯が出ないんじゃないかと

心配しながら

蛇口をひねったら

無事にお湯が出てきて

ホントによかったです(*^^*)

3年前の寒波の時に

何度も凍って

午前中お湯が使えず

不便だったので

業者の人に頼んで

パイプのまわりに

電熱線を巻いてもらいました。

おかげで

もう大丈夫みたいです💡

お湯のある

便利な暮らしに慣れてしまうと

水道管からお湯が出てこない・・💧

それだけで

メチャクチャつらいと感じます。

文明の利器に囲まれていると

人間は脆弱になるなぁ・・と

思うのは

こんなときですね。

たまには

わざと生活を不便にしてみると

眠っている感性が磨かれて

いいのかもしれない・・

と思ったりもします。

が、

思うだけ、ですけどね(笑)

ということで

今日のテーマは

「評価する目」についてです。

評価すること自体が

悪いことではありませんよね。

あの商品とこの商品

どちらが、どういう点で優れているか

コストパフォーマンスは・・なんて

日頃から

比較したり評価をつけたりすることは

自然にやっています。

人に対してはどうでしょう?

これも職業柄やっていることは

ありますよね。

わたしの場合

去年まで公文の指導者をしていたので

生徒のことは

しっかり見て評価していました。

その生徒のどこが優れていて

どこが弱いのか

それによって

指導の仕方を変えるのです。

ですから

物事によっては

評価する目を持つことは

大切です。

ですが、

評価する習慣には

落とし穴もあるのです。

さて、

その落とし穴とはなんでしょう?

評価は自然にやっている

と言いましたが

そのことで

陥りやすいのが

自分の行動を制限してしまう

ことなのです。

それを

3つのパターンに分けて

お話しますね。

1つ目

人のことを見下げる。

これは

服装・生活習慣・話し方・・

そういうところを批判します。

批判しているときは

自分が偉くなったようで

気分がいいのですが、

その分

人の目が気になります。

自分も

人からダサいと思われているんじゃないか

変なことを言って

笑われたらどうしよう・・

自分のしていることが

そのまま自分にも返ってくる気がするので

行動に制限がかかってしまうのです。

2つ目

人は自分より優れている

と思い込む。

これは

人を持ち上げることで

相対的に自分のことを下げています。

こうすることで

出来ないことに対する

言い訳をつくります。

どうせ

わたしなんかダメだから・・

そう思うことが逃げ道になって

努力しなくて済むのです。

3つ目

人のふり見て我がふり直せ。

人が失敗するのを見ると

自分はああなっちゃいけない

と思い

行動を制限するタイプです。

よく言えば慎重ですが

失敗したくない気持ちが強いので

人の観察ばかりして

少しでも不安材料があると

手を出せなくなってしまいます。

★・★・★・★・★・★

こんなふうに

評価のパターンには3つありました。

わたしは

評価そのものを

悪いとは思っていません。

ただ、

この3つのパターンの

どれかにはまってしまうと

自分の行動そのものが

制限されてしまうので

勿体ないとは思うのです(^-^;

そこで

評価するクセを直して

もっと

自由にラクに行動できるような

方法をお伝えしますね。

それは

ノートでもワープロでも

なんでもいいので

自分が評価していることを

書き出してみる

ということです。

人に見せるためのものでは

ないので

汚い言葉でも

さげすむような言葉でも

なんでも構いません。

心に浮かんだ

批評する言葉を

どんどん書き出していってください。

そうすると・・

途中で

わたしなんでこんなこと

書いてるんだろう

人のことばっかり考えて・・

もうどうでもいいや!(^^;

そう思う時がやってきます。

そうなれたら

人の目が気にならなくなって

心も自由になっているはずです*^^*💚

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